色々書こうと思ったが止められたのでやめた。

学生時代、某新聞社レース部でアルバイトをしていた。マスコミ関係の学校にいっていた僕にとって、あまりにも心地よいすばらしい環境の仕事場であった。なんせ、誰かが買ってくる、週間漫画を読みながら、ちょこちょこっと仕事をし、リライトというか、原稿まで書かせてもらえ、かつ給料は20万前後もいただけるというお仕事内容。しかも仕事終わりには、みんなでパチンコにくりだし、勝った人が、パチンコ店が終わってからの、飲み代を出すというシステムまでできあがっており、毎日朝まで飲酒。はいてでも飲んだ、飲んだ飲んだ。はっきり言って、このまま就職できるかな?というほどはまった職場であった。2年は働いたかな?本当にやめたくなかった。ずっとこの職場にいたかった。
しかし、学校の卒業が近づくにつれ、本当にこのままでいていいのか?一応マスコミ志望で、ここにいたら、その夢も達成できる。しかし、しかしだ。マスコミと言っても、自分が本当にやりたい仕事は、カメラマンだ。ここにいたら、安定収入で、かつ、社員昇格もあるであろう。でも、こんなぬるま湯にひったっていていいのか、自分の進路をあらためて、自問自答しはじめていた。
結果、卒業制作で、そのころ、内乱があったボスニヤに行くことにした。一ヶ月間アルバイトを休むは迷惑がかかる。思い切って、やめることを伝えた。それまでためた、バイト代は、NikonF4とレンズ、旅費に消えた。一銭もなくなった。
ボスニヤにいってもカメラマンとして認めてもらえる確約なんてないし、マスコミの学校にいっていたとはいえ、そのころは、写真の知識もまったくと言っていいほどなかったわけで、はっきり言って、今考えると、無謀、無知の典型だったわけだ。しかし、その旅行で、自分の力のなさを痛飲し、あらためてやろう、もっと勉強せないかん。まだまだがんばらないかん。そのことだけは、痛いほど思い知った。
就職活動なんて物をしてなかったので、もちろん就職出来るはずもなく、卒業してから、バイトしながら、師匠に写真を教えてもらっていた。先のバイト先のように心地よいバイトではなく苦痛であった、早くここから脱出したい。そのぶんさらに必死になって写真を覚えた。実家であったから、できたことかもしれない。生活費はいらないわけで、その分機材を買える。親には口やかましく「就職せい!!!」と言われたが、結局自分の意志を貫いた。感謝している。今カメラマンとして大成しているかと言われれば、まだまだぜんぜんなのはわかっているし、もっと、もっと自分を高めていかないかん。それもわかっている、しかし、今は生活もあり、なかなか前へは進めない。でも、少しずつでももっと、もっと自分を高めるために、勉強せないかん。そう考えた。

そんなこんなで………。