わしゃ今まで多くの人たちに支えられてきた。

お父さんになる。5月に子供が生まれてくる。今までフラフラ生きてきたが、今年は、今年からは改心していかないかん。そう考えている。
年が明けてから、無理矢理に近い感じで仕事を入れているつもりだ。二つ三つの掛け持ちはもちろん、効率のいい動き方ができるよう、ごめんちょっと確認するから、ちょっと待ってという言葉をいうことが多くなった。仕事をふってくれる人たちには多大なる迷惑をかけているはずだ。「この日あけとくから!!!」「もっと件数入れてくれていいのよ!!!」はっきり言って、そんなこと言われても、先方の都合もあるし、いい迷惑なはずだ。しかし、クライアントさんもわかってくれているのか、僕が都合よく動けるように、考慮して、逐一電話くれたり、まだ大丈夫ですか?と確認してくれたり、強力してくれる。ものすごくありがたい。自分は多くの人たちに支えられているんだ。痛感する。自分を高める為にライバルである、先輩の意見を聞きに行く行動もとってみた。はっきり言って、そんなことを教える筋合いはないし、時間をさきいい迷惑なはずだ。でもよきアドバイスをくれる。僕がカメラマンとしてやっていけているきっかけもそうだった、なんの接点もない僕に、親切に写真という物を教えてくれた師匠がいた。その分必死になって覚えたし、自分でも試行錯誤をかさね、今に至る。
いつも仕事をいただいている、編集プロダクションがある。そこの社長は、もと某編集部の副編集長で、その時はいっこも仕事をくれなかった人なのだが、その仕事場をやめ、とある編集部にいき、独立し編集プロダクションを立ち上げた人なのだが、(わかりやすすぎる)とても信頼している。冗談で、「昔はいっこも仕事くれへんかったくせに〜」と言うときはあるが、はっきり「へたくそやったから仕事なんてやれるか!!!」という性格にも男気を感じ、今は、なにか少しでもお手伝い出来れば…。そう考えお仕事を引き受けているつもりだ。そこの社長もはっきり言って今はいい意味で一番不安定な時期だと思う。少しでも心労をかけないように、努力せないかん。現時点はそう思っている。

いまだに、自分は、若手という位置にいるかもしれない。下からの押し上げのスピードが焦りを感じるほどではない。いや、あせらないかんのかもしれない、現に、マイミクの中には、あせりを感じさせる若手????カメラマンもいる。
しかし、社会的な、常識。一般的な考えを持った上で言える話であって、その部分が欠如した人間が、いくらいい写真を撮って、いい文章を書いたところで、それは焦りにはつながらないし、努力が見えない人間がいくら口でわかったといっても、次の現場で、その努力が見えなかったら、どうでもいいやと思ってしまう。一生懸命言うだけ無駄や!!!。
多くの先輩達にいわすと、自分が若かった時も、段取りが悪く、言ったことを実践しない、だめな若手だったかもしれない。反芻するのに時間がかかるのは仕方がない。自分の物にするのが時間がかかるならそれも考慮にいれよう。僕も、時間と手間がかかる人間だったはずだ。
でも、でもね、仕事に一生懸命になって、常識的なことが欠如するのはだめだよ。そこを失うと、絶対に、取材先にも迷惑をかけ、しいては、その雑誌のモラル、出版社の汚点となってしまうよ。っていうか、そんなことで、社会人として生きていけるの?そんなモンどこ行って通用しないよ。
決して僕は出来た人間じゃないし、自分ではわからないところで、常識が欠如してるかもしれない。こんなことを書ける人間ではないかもしれないが、またもや酔っぱらった拍子に、記録として書き記してしまった…。


スキー合宿で疲れているはずなのに………。


追伸
バレンタインデーのチョコレートは本命チョコしかいりません。義理はいっさい受け付けませんので、そこんとこよろしくメカドック!!!